市民ミュージカルの制作にいたるまで
我孫子は、合唱団がとても多いのをはじめ、音楽演奏、ダンス、演劇など、アクティブな芸術文化に親しむ市民が多い町です。こうした市民が集まって、大きなイベントを創造することができれば、市民のコミュニケーションや、ネットワークづくりにとって、すばらしいことでしょう。

いっぽう学校では週5日制が始まり、子どもたちも土曜日を活用して、スポーツや自然体験・文化芸術活動など、学校の教室では得られないさまざまな学習ができるフィールドを、私たち大人が協力してつくることが、大切な時代になってきています。

こうした背景から、おとなと子どもがいっしょになって、市民ミュージカルをつくろうということになりました。
 2000年12月  我孫子市教育委員会が募集した「文化事業ボランティア」の市民により、文化事業の企画分科会を4部会設置。
その1つが「演劇・ミュージカル分科会」です。

受付や場内整理の打合せをする、ボランティアスタッフ。
(2002.1.20 市民会館で)
 2001年7月  分科会から「あびこ市民ミュージカル」実施プランを提出しました。
 2001年12月  教育委員会文化課で検討し、2002年に台本作成、2003年夏に上演の方向で予算化の方針が打ち出されました。
 2002年1月19日  2000年に市民ミュージカル「あいと地球と競売人」を制作した経験を持つ、野田市の教育委員会へ取材に出向き、予算や上演までの苦労したポイントなどを、教えていただきました。

野田市民ミュージカル
     2000.8.26-27上演

 野田市民ミュージカルを制作した、野田市文化センターの浅野さん。

 浅野さんからお話をうかがう、我孫子市文化課の成嶋さん(右手前)と、山田さん(右奥)。
 2002年2月11日  ミュージカル部会からのよびかけで、あびこ子ども劇場、我孫子吹奏楽団、子ども会育成会連絡協議会など、いくつかの市民団体が集まり、2002年度に台本を作るための「制作委員会」がスタートしました。

 
2/11、教育委員会の会議室にて
 2002年3月16日  我孫子市の広報紙で、同じく原作公募のお知らせを行いました。
 2002年4月30日  「あびこ市民ミュージカル制作委員会設置要綱」を教育委員会で決定。行政内での正式な文化事業として位置づけられました。
2002年5月16日 我孫子市の広報紙で、制作委員を広く市民から公募するお知らせを行いました。
2002年6月16日 原作審査会を開催。応募のあった25作品から、「北へ帰るのを忘れた白鳥」(市内在住の下藤明男さん作)が選定されました。
2002年6月22日 市民公募による制作委員7名を加えて、制作委員会を再編成。台本構成チームを設置して、台本づくりをスタートしました。
その後、毎月の制作会議を重ねて、ミュージカル構成・脚本を作成。
2002年12月8日 湖北地区公民館で台本を市民に説明する「プレビュー」を行い、制作委員会から実行委員会へ発展的に移行していきました。

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